So-net無料ブログ作成

平和主義を執拗に攻撃する者達。 [邪悪, 政治]

2016年5月22日現在、Googleのウェブ検索で " 平和主義 運動 " などのワードで検索をすると、平和主義または平和主義を唱える人々の事を甚だしく侮辱したウェブ ページが、これでもかと言う程沢山表示されます。

それらのページの執筆者達は、まるで初めから平和主義自体を叩き潰す事を目的としているかのようで、平和主義者が戦争を起こすのだとか、平和主義者は売国奴だとか、反日だとか、頭がおかしいだとか、平和主義者を抹殺すれば戦争が無くなるだとか、平和主義者が居なくなれば戦争で犠牲になる人が減るなどと主張しています。

彼等の主張は余りにも邪悪で、悪意に満ち満ちている様に見受けられます。

彼等の主張は全くの嘘、でたらめです。

戦争をしたい人達が居るから戦争が起こるのです。
暴力が好きな人達が居るから戦争になるのです。
自分中心で他人を犠牲にする事を厭わない人達が居るから戦争になるのです。
他人の物を奪おうとする人達が居るから戦争になるのです。
他人を虐めよう、いたぶってやろうという人達が戦争を煽るのです。
他人の不幸や苦痛を喜ぶ人達が戦争を煽るのです。
人心を掌握して思うが儘に操ろうとする権力者達が戦争を始めるのです。

平和主義はそれ自体は理想的であり、全力で追求すべきものです。

アメリカの大統領選の共和党候補のトランプのように、暴力はそれ以上の暴力で押さえ込めば良いという発想は完全に間違っています。

彼は銃犯罪が多発しているのはまだ銃が足りないからだ、学生の通う学校周辺や学校内でも拳銃や自動小銃を配備して、不審者は全て撃ち殺してしまえば良いといった趣旨の事を主張しておりますが、現在の日本国内に広がっている、反平和主義の主張も彼と同様のものであると思います。

本当は、銃が無ければ銃器による犯罪は起こりようもなく、銃による犠牲者は出ません。

反平和主義を唱える彼等は口を揃えて次の点を主張します。
第二次世界大戦は当時のナチスが支配するドイツによるポーランドへの侵攻の前に、イギリス国内の平和主義者達の運動の結果である宥和政策の為にドイツに対して攻撃出来なかった事により、世界大戦となり、犠牲が多くなったと言います。
これはウィンストン チャーチルの著書である、 " 第二次世界大戦回顧録 " に記されている事であると。

しかし、これを以って平和主義者が戦争を起こす等と主張する事は全くの的外れです。

例えば、ドイツ国内に平和主義者が多く居ればドイツはあのような暴挙は起こさなかった筈であるし、連合国側が第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約のようなドイツにとって受け入れられない条約を押し付けるのではなく、ドイツの国内事情に充分に配慮した内容にするなどして、ドイツ国民の怒りを煽るような外交上の失敗をしなければ、ヒトラーの台頭を許す事にはならなかったでしょう。
また、平和主義の台頭がなかった場合には、イギリスは早期にドイツに対して侵攻し、その場合もやはり多くの犠牲を出す戦争となっていた筈です。
詰まるところ、平和主義が戦争を招くというのは完全な誤りで、戦争が起きるのは、戦争を起こそうとする勢力と、市民の怒りを政治利用しようとする権力者の策動、そして外交上の失敗が原因なのです。

また、平和主義者は実は暴力的で差別的な人間だ等と言う主張もありましたが、これも誤りです。
平和主義を訴える人達の中にも、稀に暴力的な人間や差別的な人間が紛れ込んでいるというだけの事であって、平和主義者が即ち暴力的であるとか差別的であるといった事は的外れです。
平和主義を否定する人達の言い方の方が余程暴力的、差別的であるように感じます。

最後に申しますが、私達日本国民が平和主義を守る為には、諸外国に対して民主主義や平和主義の理念を輸出して行く必要があります。
そしてそれは軍事的な圧力によるものではなく、市民の力、文化の力であるべきです。



->->
[翌日追記]
もう1つ、私の考えを述べさせていただきます。
私が考える平和主義とは、暴力的手段を可能な限り使用しない事犠牲を出さない事を優先させる事対立事項について話し合いもしくは公正公平な取り引きによって解決する事を実践しようと努める事です。

ここで注意すべき事がございます。
それは、集団の和を乱さない事を優先すべきではないという事です。
ある集団内に於いて、意見の食い違いや集団にとって何らかの不利益を及ぼす可能性がある事柄について、それを主張することで集団内に不和を生じさせる恐れがあるからと言って、それを主張せずに居る事は正しくありません。
多様な意見を出し合い、議論し、犠牲やコストを最小化しつつ利益を最大化させる方法を皆で落ち着いて考え抜く事こそが平和主義であると考えます。

集団の和を最優先して異質な個人もしくは小集団を抑圧したり排斥するような事は決して平和主義ではない筈です。
その様な考えは危険な全体主義にも繋がりかねません。
<-<-

コメント(3)  トラックバック(0) 

コメント 3

お名前(必須)

 そんなこと言ったって生物は皆争い奪わなければ生きていけませんし、共存なんていうのはお互いの利益になるから成り立っているだけで役に立たない他者から奪うのを止めているわけじゃないですし。
 肉体を捨てでもしない限り理性でどうこうできるもんじゃないですよ。
 なんか平和の象徴にされがちな植物だって、かなりえげつない殺し合いをして生きているんですよ?

 どうしたって平和主義者の多い国は少ない国に付け入られて競争で不利になり、淘汰されるだけの結果にしかなりませんし、そのほうが都合がいいんですから他国は厭戦感情を煽るように工作し合うと考えるのは当然でしょう。
 
 ようするに「屁理屈こねたって悪いのは騙すほうに決まっているのだから人を騙さないよう啓蒙しましょう」ってんでしょうが、実際騙し合いに慣れているほうが純朴な側を食い物にしておしまいなんですから。

 所詮権力は真空を嫌うんですから自国政府を叩いた分他国政府がつけあがるだけですしね。自分たちで満足できる清く正しい政府をつくっても、顔も知らない他者は信用せず同じ争いが始まるだけです。

 人間が人間であるかぎり、信用に限界があるかぎりどうしようもないんですよ。
by お名前(必須) (2017-11-17 11:05) 

Sutraus

>2017-11-17 11:05 コメントの方へ。

では、私が持てる能力の全てを注いで人々を騙し、私が権力の座に着いて搾取する側に立ち、悪政を敷いても宜しいのでしょうか。
私とて、もしそうした事を目論めば世の中は確実に悪くなりますよ。

善くしようという努力を怠らない人達が少数ながら存在するお陰で、今の社会はある程度は楽しく暮らしていける社会になっているのだと思います。
皆が余りに自己中心的だったならば、社会は地獄絵図と化していることでしょう。

善くしたいと思う人達を、社会の生け贄にしてはいけません。
by Sutraus (2017-11-19 20:43) 

Sutraus

もう一つ、自国政府の政策こそが自国民に最も大きな影響を与えるのですから、自分達の国を良くしたいと思ったならば、自国政府へ意見を言ったり自国政府の過ちを糾したりする事は最も重要な事だと思います。

また、外国政府の悪事へ批判する事も内政干渉ではあっても場合によっては必要な事だと思います。

それと、平和主義が思考停止ではいけないとも思っております。
深く網羅的に状況を分析しつつ、長期的に理想的な社会の実現のために、現実的な施策を実行して行くのが宜しいかと思います。
by Sutraus (2017-11-19 21:07) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0